2013年7月12日金曜日

POP Brain.

すっかり魅了された。
藤野英人さんに。

『投資家が「お金」よりも
大切にしていること』

全部素晴らしいんだけど。
特に引き込まれたのは以下。

【以下クソ要約はじめ】

世の中のひとはみんな
自分の人生をかけて
社会に投資をしている、
ひとりの投資家。

真の投資家は、
理想に閉じこもるわけでもなく、
現実に逃げるわけでもなく、
理想と現実の間を悩みながら
歩いていく。

本当の安定とは
成長し、変化すること。

最初に安定を与えないと
頑張れないのが
日本人のメンタリティ。

変化と向き合い、
変化をチャンスと捉え、
変化(成長)を望んで、
実際に動くこと。

漠然とした閉塞感の正体は、
ネガティブメッセージに
毒されていただけ、
という可能性がある。

学校にしろ会社にしろ、
自分のまわりにいる人間が
前途に希望を持っていないから、
それに引きづられて
しまっているだけ。

何も知らず、知ろうともせず、
ただ印象だけで平面的に
物事を語るほど、
不真面目な態度は無い。

日本の未来が暗いと言う人は、
あなた自身が
日本の未来を暗くしている。

自分の将来を悲観的に
感じている人は、
あなた自身が自分のことを
信じていないってこと。

日本経済も、世の中も、
人生も、決して
モノクロではない。
本当はカラフルなのに、
それを自分で見ていない、
見ようとしていないだけ。

【以上クソ要約おわり】

イヤー。耳が痛イ。
しかし改めて。

“自分の人生をかけて
一生変わり続ける”
っつーPOPな生き方を
再確認させてもらった。

分からなけりゃ分かるまで。
知らなきゃ知るしかない。
出来なきゃ出来るまで。

あれこれ悩んで
なにもしない!
ってことだけはナシ。
なんも変わんないから。

とにかく動き続けよう。
変わり続けよう。

と。思わせて頂いたので
グダグダ油売ってないで
今夜も考え続けます。

ちゃす。

2013年6月11日火曜日

脱ストロングスタイル




フジTV「あすなろラボ」
日曜の夜にはじめて観た。

そん中で東進ハイスクール
“林先生a.k.a今でしょ”が素敵なことをいくつか言ってた。

林先生番組内名言をまとめてくれてるのはコチラ。

中でも


“努力は裏切らないという言葉は不正確。
「正しい場所」で「正しい方向」で「十分な量をなされた」努力は裏切らない。”


って話。

番組内の聴き手が
意味を理解していたかどうかは別として。

フツウの学校の先生でも「教えよう」と
思って出てくる話ではないよなァと思った。

というより、そんな話をする先生は
僕の人生の中でも1人ぐらいだし、結構「マレ」なんじゃねーかと。

塾の講師は特に、“サワリのいい言葉”を、おとなしく“聴いてくれる”相手に
“時間内で”伝えていれば給料はもらえるしごと。とか勘違いしていたが。

“今でしょ”は全く違った。

多くの人が通常の生活の中で特に意識もせず
フツウに使っている言葉を敢えて正確に伝えようとしてる。

“夢という言葉の持つ怖さ”とか
“「夢を持て」という言葉が罪作りな理由 - Business Media 誠 ”

と全くおなじ話。

政治でも採用でも教育でも。
曖昧な言葉で煙に巻く、ストロングスタイルが
いろんな所で散見される昨今。

本当に相手のことを思うなら
正確に伝えることがイチバンですな。




2013年5月22日水曜日

Deinstitutionalisation.

“人生、ここにあり!”

昨晩ひとり観て泣いた。寂しいけれど最高。


まさに最近気になってる“環境や機会”という意味でも
“脱施設化(Deinstitutionalisation)”という意味でも。



昼間。

キャリアビジョンtype®
インターンシップ•ラボ in 東京
というイベントに行ってきた。

2014年度の採用がまだ続く中、
2015年度のインターンのハナシ。

出展企業は外資、ITベンチャー、コンサル、金融など27社。
学生は in a typical dark suit.

参加する理由や意図を
ひとりひとり聴いて周りたかったですな。

そのセミナーの帰り途。

駒大の方が書いた
「電通に就職したい」という学生からメールが来たので

というブログ記事を読んでた。

ふと大学生の頃所属してた国際環境ゼミの先生に、
“なぜこの研究に人生を掛けるのか?”
と聴いたことを思い出した。

当時ぼくの疑問の背景にあった大きな関心事は
一体どうすれば世の中に散らばる数多くのテーマの中から
“国際環境”というテーマをひとつだけ選ぶことができるのか?ってこと。
先生よく選べんなーと。

先生曰く。
自分がイチバン興味のあることを研究し続けていたら今の仕事になった。

もともと哲学あがり→大学にて国際環境専門→企業勤め→またもや大学教授。

当時はわけがわからん、
軸すらねーやとか思ってたけど(失礼)。

いま振り返れば1つの答えではあるなと。

あるテーマを掘り続けていくと否応無く様々な分野に跨っていくし、
結果的にコア分野を持ちつつも幅の広い考えに繋がっていく。

だから。

軸は自分の興味関心に合わせて柔軟にカタチを変えていくことになるし
可能性に対してオープンでいることが、結果的に自分のテーマに
なるんだろうなとか思った次第。

ブログの先生曰く。
“社会を幅広く知るのは就職活動の基本”と言うけれど。

なにも“就職活動”に限ったハナシでもない。

WEBサービスにしろ、起業ネタにしろ、
事業創造にしろ、就職活動にしろ。テーマが見つからない!!!

って場合は、まずは世の中に散らばる多くのテーマに
目を向けることから。なんだろう。

そん中でやりたいことや興味感心を持てるもの、
成し遂げられる環境が見つかればラッキー!ぐらいな感じで。

目を向けていろいろと探したり脇道こみちを歩き回ってるうちに
ふと見つかったりするんだろう。

初めから全部決まってる人なんて
未だ嘗て出会ったことがない。

先に企業ブランドありきとかもったいないと思う。
ブログの学生だけではなく大多数の学生も
今もむかしも似たようなスタートだと思う。

人によってなんとなく自分のテーマこんなんっ!
てのが決まるタイミングに遅い早いの違いがあるのは当然。

しかし。
「大学3年生になったら考えること」ってハナシでもない。
いつ初めても早くないし、遅くない。

むしろ過去の活動や経験、判断や言動の積み重ねが
既に各人を創ってる。

ということは。
やっぱ“早期”とか“通常”とかって企業や国の意向で個人の
仕事や就業観形成の時期を“設定”するってこと自体に無理があるのかもなぁと。

早すぎ/遅すぎは問題じゃないんだから。
むしろ自分の人生とか就業観とかに
向き合ったり話したり観たり聞いたり触れたりする機会が
大学3年生になるまでほぼほぼノータイミングってことが問題で。

ブログを読んで思ったこと。
それは。

各人がほぼほぼ出来上がるタイミングまでに、
もしくは人は一生出来上がらないから常に。

各人が自分の人生や仕事、就業観を形成していく一助になるような
“環境や機会”を用意できるといいなぁ/したいなぁってこと。

既に固まっているかのように見える固定観念や通念という名の“施設”をブチ壊すっていう
“脱施設化(Deinstitutionalisation)”。

・・・。


ゼミの先生に
久々に会いに行くかなっ。



2013年5月5日日曜日

asobi基地。

今日は魔女の宅急便
からスタート。

いつものBakery南で
焼きたてパンをいくつか買って。

家族そろってピクニック。
はじめてのasobi基地へ。

場所は代々木公園のど真ん中。

ボールあそびに粘土あそび、
音楽隊と音あそび、
真っ白な布にみんなでおえかき。

カラーフィルムを覗いたり。
切り株に登ってみたり。
葉っぱでおままごとをしてみたり。

身近にあるもの、
周りにいるひと、
その場所自体ぜんぶ。
あそびとまなびのasobi基地。

こどもたちは当然裸足。
土と絵の具でぐちゃぐちゃ。

まミドリになった手を流す
洗い場でも水あそび。
シャツもズボンもびちゃびちゃ。

からだとこころ。全開で
楽しいひとときを過ごしました。

ときに◯◯教育とか、
◯◯thinkingとか。
いろいろ子育て情報やノウハウは
出回ったりしてるけど。

こどもたちが
自分の目で見て、耳で聴き、
自分の言葉で話して。

こころとからだ全体で
感じて表現しながら
こどもたちが自分たちで
勝手に愉しむのがBest。

そんな“場所”であり“ひと”。
asobi基地はほんとに愉快。

帰宅後。
泡風呂かーらーの焼肉っ。
我が家はGWも全開でござす。


2013年1月22日火曜日

Single devotion.



本日1月22日(火)は

ADK×マスメディアンのセミナーであった。

その中で非常に印象的な話があったのと

先日メモったことと合わせて記しておく。

Must=しなければならないこと、
Will=したいこと、
Can=できること。


リクルートやビジネス思考セミナーや
某仕事論なんかでよく使われるアレだ。

言われ続けて久しい。
しかし、今日はそれが胸に刺さった。

“就職活動中or入社したてでMustばっかりの時期に
Willを持ち続けていられるか。

持ち続けていられる人は強い。


そうこうしているうちに
Canの領域が拡がり、

Willに挑戦していくことができる”

と。

「脱社畜」とか「ノマド」とか「86世代」とか
「ワークライフバランス」とか。


いまだに精神論掲げてなに考えてんの?
自分らしさ万歳!好きなことして生きてく!
言説が溢れてる気がしてて。(人の価値観だから否定はしない)

ちゃんと自分の中でやるべきことをやってる人が

言ってるのであればなーんも問題ない。

問題なのは、その言説を真に受けて(焦っているからこそ?)
自分の中でもきちんとやるべきことが出来てない状態で
やれ自分らしく!やれ好きなこと!とか抜かしてる人が多いってこと。

ぬるいじゃん。それ。

やらなきゃいけないことを

当たり前にやれるようになるまで相応の時間が必要。

その時間をきちんと過ごさないと、
なんとなく自分の意志で出来る領域が拡がっていかない。

自分の意志で出来る領域が拡がらないまま
Willを追いかけてしまうと、
とてつもなく中途半端な人間になってしまうよねってハナシ。

目の前にあることから逃げて

自分のやりたいことだけやっている人間が
果たして素敵な仕事ってできるのかしら?

ぜってーできねーしとか思ってたら、
ふと先日のB&Bのイベントで電通の樋口さんが
おっしゃっていたことを思い出した。


“良い仕事に効率の良い働き方って必要ですか?”


そうだ。
いまこの国では企業も学校も地域も個人も家族もみーんな課題を抱えてる。
課題先進国とか言われちゃって。笑ってる場合じゃねーす。


そんななか。広告会社って。

困った➝どうやって課題解決を実行すんの?
をしてると思ってる。

何が本当の課題なんだろう?って
誰も気づいてない課題を見つけるのにまず一苦労し。

そのあと世の中の人たちに伝わるカタチで
見つけた本質的な課題を解決してかなきゃなんない。

採用活動も、広告キャンペーンも、人材育成も、
プロジェクト開発も、ビジネスプロデュースも、
それぞれの問題を解決して対象にイチバン伝わるカタチって
何なんだろうってことをひたすら考えないと。

だから。
方法論とかノウハウなんて世の中溢れてんだけどさ、都合が良いよね。

本を読んでも出来るわけじゃない。

そういう意味では。
俺の学生に対する説明の仕方はぬるさを含んでるよね。
多少回り道してでもひたすら向き会おうと思うよ。

ということで、ハナレグミ。ハンキーパンキー。
たのしいと。素直に言えるだけでいいんだよ。と。







2012年12月30日日曜日

Year in review.

Year in review.

今年の振り返りなど。
見るもんじゃないと思ってた。

なぜなら今の自分は
本当に中身の空っぽなカスのような人間だから。

けど。

公私ともに本当にカスみたいな自分にも
きちんと大切にしたい思い出はあった。

いつのまにか自分独りでも
結局はなんとかなる、最後はなんとか出来る、
と過信し、大事なことを後回しにしたり、
逃げたりする癖がついてしまっていた。

結局最後は自分が苦しくなるだけなのに。
結局全部自分に返ってくることはわかっているのに
いまさえよければそれで良いと。
最後に帳尻が合えばそれで良いと。

行き当たりばったりで
後先のことを何も考えていない。

そこらへんをほっつき歩いてる
チンピラと同じく刹那的な生き方。
薄っぺらい人生。

唯一チガウのは、守ってくれる家族や
同僚や先輩後輩が「まだ」居てくれることぐらい。

人のやさしさに甘えているだけ。
自分ではなにも責任を取れやしない。
そしていつまで続くか分からない。

そんな生き方には心の余裕などなく、
常にどこか後ろめたい気持ちと焦燥感しかない。

それでもここに写っている笑顔や
幸せそうな瞬間はすべてその生活の中から
切り取った正真正銘の感情だった。

今の自分の中にある全ての膿を出し切って
善き人生に戻りたい。

喧嘩や不一致なんて当たり前だ。
人は1人1人まったく別の生き物だ。

嘘、妥協、逃避。
俺の人生から消す。

駄目なもんは駄目。良いもんは良い。
心の底から自分の考えていることや
思っていることを伝えていくことにしよう。

本当はどう思ってんの?
本当は何を言いたいの?

感情的なぶつかりや叱られること、
悪く言われることや考え方の不一致を恐れて
どこか自分の本当の気持ちに嘘をついて
誤魔化しつづけ逃げてきた。

たとえ嘘をついてうまくいったとしても
結局薄っぺらい喜びが返ってくるだけだ。

本物の喜びを知っている人間が
誤魔化したり逃げたり、嘘をついたりすることはない。

恐れや批判や否定を乗り超えて
万人を前にして自信を持って言えることしかしない。

≪人間の七つの大罪≫

日本語 ラテン語 英語
傲慢  superbia pride
嫉妬  invidia envy
憤怒  ira        wrath
怠惰  acedia sloth
強欲  avaritia greed
暴食  gula        gluttony
色欲  luxuria lust

カスはカスなりに
真正面から生きていくしかない。



2012年12月27日木曜日

My family gone to Nobeoka.

The last dinner with my wife,my son Itaru and my daughter Sora.


昨晩は、家族4人揃っての年内最後の日だった。
しばらく僕の妻と2人の子供たちは実家の延岡に帰るからだ。
Yesterday was the last day for me to be with my family in this year,
because they go back to Nobeoka for a while.

仕事が終わって帰宅すると、いつも
子どもたちの大きな笑い声が聞こえてくる。
Whenever I go back home,
I can hear the sound of laughter comes from the room. 
昨日は特によく笑っていた。
They laughed often last night.

そして身体がきついのにカカワラズ、
仕事帰りの旦那と一緒にごはんを食べようと
あったかいごはんをこしらえて待ってくれている妻が居た。
My wife made a hot dinner in spite of her sickness.
And they waited for me to eat together.

台所で妻と話しているうちに
勝手に涙が出てきた。
When I talked with my wife,
tears floweddown from my eyes.

いままで僕が出来なかったこと。
妻に我慢させてきたこと。
子どもたちのためにできなかったこと。
自分のことしか考えてこれなかったこと。
I cried because I realized what a hopeless man I am!
I looked back what I couldn't do,
what I made my wife endure,
what I couldn't do for my sweet children,
and what I thought about only myself.

そして一緒にごはんを食べた。
しばらく帰ってこない家族といつも以上に時間をかけて。
I had a longer time to eat dinner with my family than usual.

とても楽しい時間だった。
We had a good time.

子どもたちは眠くなってすぐに布団に入ったが
今日からしばらく冷たい布団でひとり眠ることになる。
My children went to bed soon,
and I have to sleep lonely in the cold bed from tonight.


年末年始とすぐに時間が過ぎるだろう。
Time will fly like an arrow at the year-end.

年が明ければまたいつもどおりの業務や情報に流されて
自分の価値とか自分の立ち位置とかゆっくり考えている暇もなくなるだろう。
I won't be able to consider the stance or the value of me,
because I'll go with the tide of works and a lot of information
at the beginning of the year.

できるだけ1人でいる間に
これからの人生や仕事との向き合い方、
家族との時間の過ごし方、について自分の主義やスタンスを
固めておこうと胸に決めた。
I decided to strengthen my belief and stance about
how to face the future life, works and family
as possible as I can in this lonely time.